百瀬隆さんの技術者人生経験談と教え第2回は、教授との考え方が合わなかった大学院時代です。

忘れられない情景

「朝だ。憂うつな朝だ。研究室に行かねばならない。本当は行きたくない。ため息がもれる。」これは私が大学院時代に書いた日記の断片である。なぜ、この一文から始めなければならないのか? それは今まで50年間私が生きてきた中で、精神的に最も苦痛で、一歩間違えばその後の生き方が大きく変わる、そういう分岐点に置かれていた状況を象徴しているからである。先ほどの日記は、大学院に入学してから半年ぐらいで書いたものだ。当時は研究室から下宿に戻っても研究室での緊張感が解けず、眠ろうと思っても眠れない状態が続き、朝になっても疲れがとれないまま研究室に行かねばならなかった。どうも不眠症にかかっていたようだ。しかし、なぜこれほどまでに、精神状態が落ち込んでしまったのだろうか。

希望と不安と

4月から大学院での新しい研究生活が始まることになった私は、他大学からこの大学院に進学したこともあり、実際に自分が所属する研究室がどのような様子で、指導教官がどのような人なのかほとんど予備知識がなかった。そのために、心に一抹の不安を感じながら研究室に顔を出した。初めて会った指導教官は、助手から助教授に昇格し新しく研究室を構えたこともあり、非常にエネルギシュで活動的な印象を受けた。そして指導教官は、その研究室では初めての大学院生となる私に期待をかけている様子で、気さくに話しかけてくれた。私も良よい研究室にきたと安堵するとともに、今後の研究生活に期待をもった。

ところが、研究を進めるうちにその教官から「学部時代、君は一体何を勉強してきたのか?」「君のようなドジな人間はどのように指導したらよいかわからない。」「高専から大学、そしてこの大学院に来たのは、ようやくまともなルートに戻ったということでしかない。」と言うような指摘を受け始めた。学部時代、私は高専からの編入学1期生ということもあり相当に努力した結果、研究室での評価も高く、他の学生からも一目おかれていた。したがって大学院に入って受けた指導教官からの指摘は、以前とは正反対のものであり、大学卒業から数カ月で、自分に対する周囲の評価が急に変わったことに戸惑った。そして、いったいどちらが本当の評価だろうかと迷いが生じ始めた。

しかし、当時は朝の10時から夜の10時頃まで研究室で実験を行い、まっすぐに下宿に帰るという生活をしていたので、研究室以外の世界と接触する機会は少なく、悩みを相談できる人も身近にいなかった。そして、迷いに対する解は得られず精神的に憔悴してゆき、入学してから半年間は下宿に戻ってもよく眠れない日々が続くことになった。その結果、研究室で実験を行ってもすぐ疲れてしまい、前向きに研究を行う意欲がだんだんと失われていった。

対立が始まる時

そんなある日、大学院のある講義を受けて研究室に戻ってくると「実験もしないで、どこへいってきたんや!」という指導教官の言葉が飛んできた。その後3時間ぐらい、その講義の受講の是非について口論が続いた。問題となったその講義は、文芸評論家として著名な江藤淳教授による「比較文化論」のゼミナールだった。工学系修士課程の単位として正式に認められたものだったが、指導教官からは「君は大学院に何を勉強しにきてるんや。有機化学やないんか!」と更なる追求があり、それに対しては、「私は人間ですから文系の授業も必要と考えております。」と返答した記憶がある。その後、結果的には自分の意志を通し、江藤ゼミを取り続けたが、この間、指導教官との関係はますます険悪なものとなっていった。

当時は、気づかなかったが、どうも“うつ病”にかかっていたようだ。うつ病の症状としては、漠然とした憂うつな気分が続き、自分がだめになってしまったと自己を卑下し、自分を責める気持ちがおこってくるとされているが、この時に感じたことはまさにそのような感じであった。私のように研究室という狭い世界に閉じこもり、世の中との接触があまりない場合には、指導教官との人間関係により、精神状態が大きく左右される。当時は下宿で一人暮らしをしていたので、その影響も大きかった。そして、いったん指導教官との関係が悪化してしまうと、その後それを修復することは難しく、非常に苦しい研究生活をおくらねばならなかった。

ときどき、苦しさに耐えきれず、大学院生活を続けることを断念できればという誘惑にも襲われた。おそらく、このときに大学院をやめていれば一時期は楽になれたとしても、その悔いを今も引きずることになっていただろう。だが、なぜ指導教官と対立してまで江藤ゼミを受講することにこだわったのだろうか。その理由をたどると高専時代にまで至る。

文系の学問への憧れ

高専はもともと現場のエンジニアを促成栽培するために作られた学校で、中学校を卒業後5年間で大学並みの専門性を身につけることが目標とされるので、大学の一般教養に相当する部分が割愛されていた。そのため私自身、高専時代は大学生よりも一般教養が劣るというコンプレックスを感じ、専門以外の本を読むように心掛けていたが、その中に江藤先生の著書があった。たまたま入学した大学院で、江藤先生が教授として講義を行っていることを知り、ぜひそのゼミで学びたいと思ったのである。実はこの大学院では、教育理念として自主的思考力と創造的能力をもつ技術者を育てることを掲げており、工学系の講義に加え、高名な文系の教授による講義が受講できるシステムが整えられていたのだ。

江藤ゼミをとったもう一つの理由は、「いったい、自分とは何か?」という自分自身への問いかけに対する答えを探したいという願望であった。これは、自分という概念を形成する上で最も重要な問いであるが、大学院の研究生活では、実験や指導教官とのディスカッションを通して、科学の手法や専門知識を身につけることはできても、この問いに対する解はなかなか得られない。むしろ、研究熱心であればある程、この問いから離れていくように思えた。私は、工学系の研究室では、そういうことを考える場がないことに物足りなさを感じるとともに、指導教官との関係の中で感じた心の不安を除こうと、江藤ゼミを受講し、江藤教授の個性に触れたいと強く思うようになったのである。

葛藤と個の芽生え

私と指導教官の対立の原因はいったいどこにあったのだろうか。多くの技術系の大学院では、“指導教官から研究の考え方や進め方について日々指導を受け、学生は将来研究者として独立して研究できる能力を養う”という明確な師弟関係の構図が成り立っている。通常、研究能力や専門知識の量から考えて圧倒的に指導教官が優位性を保っている。さらに、研究を進めるうえで重要な科学的手法は、教科書で学ぶより、実際の研究を通して身につける部分が多い。そのためよい教官に指導を受けることは非常に重要である。師弟関係を通して専門教育が行われること自体は何ら問題がなく、むしろ積極的に行われるべきものだろう。また指導教官から研究手法の指導を受けるにあたり、能力が足りない部分について指摘を受け、場合によっては叱責を受けることも大切なことだと思う。私の場合にも、大学院において指導教官から研究能力の足りない部分について種々指摘を受けたことは、当時は苦しいと感じていたが、結果として私の研究能力を高めることにつながったことから、今では感謝している。

しかし、江藤ゼミの受講に関して指導教官と対立した点については、少し性質が異なっている。指導教官の立場からすれば、大学院ではまず専門能力を高めることが第一義であるから、文系の授業はとるべきでないという意見になり、私の立場としては、専門家である以前にまずは自分とは何かを問うことが第一義であるから、文系の授業も受けるべきという意見になる。しかし、「自分とは何か?」という問いを重要なことと考えるか、あるいは青二才の議論はどうでもよく、まずは「専門家として生きていくためにはどうすべきか」を考えることが重要とするかは、個人の価値観の違いであってどちらが正しいとはいえない。大学院の指導教官との対立の中で江藤ゼミを受講することで議論になったのは、結局この価値観の違いに根ざすものであった。

ここで重要なことは、師弟関係において価値観の違いによる対立が起こった場合、どのように対処されるかである。一般的に技術系の師弟関係では、場合によって指導教官が学生の個性をも支配してしまうという力学が働きやすい。特に、専門領域において研究実績を積み、自信がある教官ほど、自分の考え方や価値観を学生に押しつける傾向が強くなりがちである。その根底には、学生であっても個人としては独立したものであるという自覚が、教官側にも学生側にも欠けており、成熟した師弟関係が築けないためではないかと思われる。学生側も知識や経験が劣るとしても、個人として卑下する必要はないのであって、専門能力と自分の個性は分離して考えるべきであろう。

私が江藤ゼミ受講の件で指導教官と対立したのは、私という個性が芽生え始め、指導教官の価値観が支配する重力圏ではもはや安定し得ず、私自身の価値観を築き上げるために、慣性圏へ脱出しようとしたためであった。そして私が経験した価値観の違いに根ざす師弟の対立は、互いの価値観の違いを理解し得ないまま解決の糸口を見いだせずに、私の卒業によって終止符を打つことになった。

教授とは考えが合わなかった

出典:「現代化学」(東京化学同人)2005年5月号

百瀬隆さんのエンジニアキャリア全10回
その1 高専入学から大学編入まで
その2 大学院時代
その3 大学院卒業と就職
その4 就職と研究所出向
その5 米国留学への挑戦
その6 米国経営学大学院時代
その7 博士取得への挑戦
その8 転職
その9 管理系職種への転向
その10 まとめと振り返り