百瀬隆さんの技術者人生経験談と教え第3回は、博士課程進学断念と就職です。

就職が現実となる時

就職、それは多くの学生にとっては、遠い将来のことのように思われ、その思いが覚めぬ間に急に現実味を帯びる。そして戸惑いながら自分の一生にとって重要な決断を行うことになってしまうのではないか。私の場合も例外ではなかった。大学院に入学した当初の私は、「将来は高専に活力を吹き込めるような教官となり、後輩の指導にあたりたい」との夢を抱いていた。そのため、修士課程を修了後は、博士課程への進学を考えていたので、就職など念頭になかった。ところが、どうしたことか、企業に就職する道を選ぶことになったのである。

進学への憧れと挫折と

大学院の博士課程に進学する際には学科試験がある。しかし、実際には所属する研究室の指導教官の推薦が重要となっていた。私の場合、前回述べたように指導教官と口論が絶えず、とても推薦が得られる状態ではなかった。自分自身もその対立から不眠症となり、研究を続けること自体に意欲をなくしつつあった。また、修士課程では、学術論文を少なくとも一報まとめる能力を求められたが、生まれて初めて作成した論文は、残念ながら学術雑誌の査読者から「発表する価値がない」とリジェクトされ、研究者としてその第一歩を踏み出す機会を失してしまった。

その当時、研究室の同期は着実に研究能力を伸ばし、順調に学術論文の雑誌掲載を行いつつあった。博士課程の進学にも意欲を示していた。同期の存在というのは、ときどき下宿で酒を酌み交わしながら人生論を語りあうという意味では貴重であるが、自分が自信喪失に陥ったときには、逆にその傷を深めるということを初めて知った。 もちろん同期が悪いわけではなく、その同期との比較から、大学院で自分が負け組に入ったことを自覚せざるを得なかったのである。こうして、私は博士課程への進学を諦めた。それは高専の教官になるという夢を捨てることでもあり、自分のキャリアを考えると、明らかに挫折と思えるものであった。

就職へのチャレンジ

博士課程への進学を断念した私は企業の就職先を探すことになった。この段階では、企業で研究をやりたいという漠然とした希望があったものの、どんな研究をしたいかについて、残念ながら自分なりのはっきりした意見はもっていなかった。できればその当時行っていた研究テーマに近いことができればよいと思う程度であった。結局、研究室の指導教官に相談し、研究室と研究上のつながりがあるS化成の推薦をもらい、入社試験を受けることになった。実は、S化成の人事担当が事前に“研究室の学生を1名お願いしたい“との依頼してきたもので、入社試験を受ければ、余程のことがない限り落ちるはずはなかった。

学生にとって就職は、その後30年以上も勤め、人生の約半分はそこに籍を置くので、技術者の生き方とキャリアにも大きく影響を及ぼす最も重要な選択と言える。しかし、私の場合は、研究室と就職先とのつながりで意外と簡単に決まってしまった。まわりを見るかぎりでは、私のように研究室の結びつきで就職先が決まるのが大半で、自らの判断で会社を訪問し、就職先を決めるケースは少なかったようだ。最近では多少事情が異なっているかもしれないが、いずれにせよ就職先の選択は、十分な時間をかけることができずに、限られた情報で行わねばならないのが実情であろう。

9月に2日間かけて、入社試験が行われた。1日目は、性格テストや語学の試験、2日目は社長を交えた役員面接が行われた。最初、私から志望の動機や研究室における研究テーマの説明を行い、その後数名の役員から質問を受けた。すでに書類選考が行われ、かなり人数が絞り込まれた中での試験と役員面接であるため、「余程のことがないかぎり落とされることはないであろう」と安心して会場を出た。

就職でのつまづき

結果は10月2日に受けた。これが不合格。「元気がよすぎて、当社の社風に合わないと」というのが表向きの理由だった。さっそく指導教官から「なんで落ちたんや!」と原因究明を受けることになった。不合格の通知を受けてそれなりにショックを受けているときに、落ちた原因について究明されるのは辛かったが、指導教官の立場からすれば、落ちるはずのない試験で予想外の結果となったのだから、理由を知りたいのは当然であった。

「ショックである。僕のような人間はどこの会社でも向かないのであろう。」これは不合格となった日の日記の一文である。このように感じたのは、S化成の就職担当から指導教官に不合格理由が告げられた際、「実は面接を行った役員から“協調性がなく独断的”とのコメントもあった。」と知らされたためであった。

単に社風に合わないだけなら相性の問題で諦めもつくが、性格について独断的・協調性がないと評価を下されてしまったことが、自ら思い描くイメージと異なり、自分の存在自体も強く否定されたように感じたのだった。卒業後、研究室にいた先輩から「当時、百瀬はもうだめかと思ったよ。あんなに精神的に落ち込んでいたのに、よく修論を書き上げて卒業できたね。」という言葉をもらったほどだった。

S化成が不合格となったのち、数社の大手の企業を訪問したが、不況で人員を絞っている上に10月を過ぎてからではすでに採用者が決まっており、新たな採用の可能性はほとんどない状況であった。そんなとき、大学に来ていた会社案内の中にまだ採用枠が残っている企業が1社あった。就職担当の教官に相談したところ、「自分の知り合いがその会社にいるから、一度連絡をとって見る。」とのことであった。

その会社は、ある大手商社の子会社で、資本金が1億5千万円、従業員が45名という規模の中堅エンジニアリング会社であった。 募集案内には、研究技術者を求めることが明記されており、研究開発を行っていることは間違いなかった。結局、就職担当の教官の勧めもあり、その会社の入社試験を受け、今度は無事入社できた。そのときは、“名前も知らず、業務内容も充分に知らない会社で、今後本当に大丈夫なのか”という不安にかられたけれども、とりあえず就職先が決まったという安堵感があった。

谷底で感じたこと

4月から新入社員研修を受け、5月から岡山の研究室に配属された。研究室は私を入れて総勢6名で、事務所の一室を実験室に改造したこじんまりしたものだった。実験室には、小型の電子顕微鏡が置かれ、多少研究室らしい雰囲気を醸し出していたが、その他の設備はほとんどなかった。入社後に取組むことになった研究テ−マに関しては、まったく設備も知見もないという状態であった。岡山の田園地帯のど真ん中に作られた研究施設で、その牧歌的な雰囲気がなおさら研究環境をわびしく感じさせた。

修士修了時の私は谷底に転落した状態にあったので、なんとか這い上がりたいと想いを巡らしたものの策はなく、とりあえず新しい環境に慣れる必要があると考えた。入社後の研究テーマの説明時も、「何故私がこのテーマをやらないといけないのですか。」とは聞かず、「とにかくこのテーマをどのように進めていくか考えよう。」と心のなかで割り切った。これがその後も、私の仕事への取組み姿勢となっていく。実はこの姿勢がその後、谷底からの脱出に大きく貢献することになる。

挫折とは何だろう

私の場合、就職に至る経緯で紆余曲折があり、博士課程への進学を諦め、高専の教官になる夢を捨てたことは挫折であった。しかし、就職するさいにS化成に入れず中堅のエンジニアリング会社に勤めることになったことは、今から思うと人生における“つまづき”ではあっても、挫折ではなかった。

もし私がS化成に入社していたら、入社できたことを当たり前と捉え、入社に対してありがたさや、逆に不満を感じることもなかっただろう。また、特に自分自身を振り返ることもなく、S化成という組織に自分を馴染ませていったに違いない。 そして、就職は人生の重要な転機であるにもかかわらず、その意味することに注意を払う機会はもてなかっただろう。S化成の不合格は、自分自身を見つめ直し、その後、キャリアの形成を考えるよい機会となった。

またS化成に入っていた場合、同期入社の社員が多数いたので、当然激しい競争もあっただろう。大学院時代に技術者として自信を失っていた状態の私では、立ち直る機会がなく、かえって落ち込んでいったかも知れない。一方、入社したエンジニアリング会社では、同期の男子は私一人だったので、幸い競争もなく、その後、国内留学と海外の大学への留学の機会もつかむことができ、技術者として充実したキャリア形成を行うことができた。

以上のことから、就職先として中小企業を狙うべきであると言いたいのではない。自分が志望した会社に就職できなかったとしても、それ自体は挫折ではなく、その後の展開次第では、かえってそのことが幸いする場合がある。だが、ただ待っていても幸福は訪れない。つまづいたときに諦めるのではなく、それをいかに跳ね返して行くか、その方策を忍耐強く考え抜くことが重要なのである。なぜならつまづきがきっかけとなり、崖から転落する場合のほうがはるかに多いのが現実だからである。

博士課程への進学と技術者としての就職