百瀬隆さんの技術者人生経験談と教え第6回は、米国経営学大学院時代の奮闘記です。

異なる学問分野への不安

「技術者である私が、経営学など理解できるのだろうか?」米国の大学院入学の前に、私は不安を感じ始めた。今まで、経営学を学んだこともないし、基礎知識もない。しかも言葉の壁がある。 数ヶ月間語学学校で学んだが、まだリスニングは充分でなかった。たとえそんな状態であっても大学院での生活が始まる。いったいどうすればよいのだろうか。

ビジネスプログラム始まる

5月末、ボストンでの語学研修を終えた私は、 イリノイ州へと向かった。その途中の風景は、陸上で地平線が見えるくらいに真平であり、そこにコーン畑が延々と続いていた。夕日が沈むときには一斉にそのコーン畑が照り輝き、まさに大地という印象を受けた。私が入学するイリノイ州立大学は、そんなコーン畑に囲まれた学園都市の中にあった。

私が受けたビジネスプログラムは、日本の経済団体とイリノイ州立大学が協力して開設したものであった。大学院で1年間経営学の授業を受けて単位を取得するとともに、特別授業や会社訪問などを通じて実際のビジネスの現場にも触れられるようにプログラムが組まれていた。修士の学位は取得できないが、プログラムの修了証が発行される。

このプログラムには、日本企業からは14名の参加者があった。大半は企画、経理、営業の出身者で、技術者は私を含め、わずか2名であった。参加者の一人は、このプログラムを受けるために、社内公募に応募し、約200名の応募者の中から1名だけ選ばれたとのことであった。その選考にあたって、語学力とともに経営学を学ぶ基礎があるかが判断されたことはいうまでもない。技術者の参加者が少なかったのは、おそらく最初から選考の対象外とされたのではなく、文系出身者との競争において勝てなかったためであろう。

もし私がその会社の社員であったとしたら、語学力が劣り、経営学の基礎ができていないので、とても留学生として選ばれることはなかったであろう。私が所属した会社は、全社員で50名程度であったので、ほとんど競争がない状態で選ばれた。このように、技術者として経営学を学ぶ機会が与えられたことは、非常に恵まれていたといえる。しかし、そのことに気がついたのは、留学を終えて一段落ついてからであった。留学当初は、馴染みのない経営学をいかにに学ぶか、それで頭が一杯だったからである。

授業での悪戦苦闘

8月から大学院での講義が始まった。私の場合、受講する科目を多くすると消化不良となる可能性があったので、会計学、マーケティング、ビジネスコミュニケーションに絞った。米国の大学では、授業の設計がよくなされており、ボリュームもある。そのため、学生も真剣にならないとよい評価が得るのはもちろん、単位を取ることも難しかった。私が最も苦手とした会計学ではどうだったのだろうか。

授業の初日は、教授からシラバスを用いて授業の進め方について説明があった。シラバスというのは、授業の日程、おのおの授業で取扱う課題、予習の範囲、議論するケースの範囲などが一覧表になったものである。シラバスを見れば、その授業のコンセプトや授業方法がわかるので、教授にとっても学生にとっても非常に重要なツールとなる。日本の大学でもシラバスはあったが、このように綿密なものを見るのは初めてであった。

2回目では、会社の財産状態をするためのバランスシート(貸借対照表)に関する授業が行われた。教科書の予習の範囲は約50ページであり、状況設定と設問からなるケースについての準備を行う必要があった。私は、もともと会計学の知識を全く持っていなかったので、まずは教科書をじっくり読んでその内容を把握することに努めた。幸い、教科書を順に読んでゆけば、会計学の知識がなくても理解できた。それは、米国では経営学の修士課程は専門職大学院として位置づけられており、技術系を含め学部の専攻が異なる種々の学生でも理解できるように教科書が書かれてあるからである。ケーススタディーの準備には時間がかかるが、教科書で得た知識を応用すればなんとか準備できた。この授業の準備だけでも5時間ぐらいかけた。

問題は実際の授業であった。教授が説明する部分は、事前に教科書を読んでいけばおおよそ理解ができた。しかしケースの議論に移ると、教授と学生が活発に議論するので話しの筋が読めず、ほとんど理解ができなかった。 かろうじて教授が黒板に書いたことから内容を類推するしかなかった。こういう調子で半年間授業を受け続け、約900ページの会計学の教科書を読み、ケーススタディーも一通りこなし、2回の試験を受けて、ようやく単位を取ることができた。今では、その内容について詳細は覚えていないが、ぼろぼろになったその教科書から、当時いかに悪戦苦闘したかをうかがい知ることができる。

米国の学生はなぜよく勉強するのか?

授業にもなれ精神的に余裕がでてきたころ、ようやく周囲の様子が見えるようになってきた。まず感じたことは、各授業でいつもある種の緊張感がただよっていたことだ。日本の授業風景と大きく異なり、寝ている学生は一人もいない。米国の学生は時間を惜しまず予習を行い、ケ−スに対して自分なりの意見を準備している。それは、通常図書館が夜10時ごろまで開いており、学生がそこで勉強するために学習机を奪い合っている状況からもうかがい知れる。そこまで準備して授業に臨むので、授業中寝ることは到底考えられないことである。

一方、教授は講義とともに、ケーススタディーを通して学生との対話の機会を授業に盛込んでいた。教授は学生が考えた解決策に対して、複数の視点から物事を見るように促した。それに対して別の学生が違った観点からの解決策を投げかけ、またそれに対して教授がコメントするということで授業が進められる。その過程で、学生は物事の本質をいかにつかむかについてその方法を体得する。このように授業では対話が重要な役割を果していた。ときどきジョークが飛び交い一見和やかに見えるのであるが、実は教授と学生の真剣勝負が行われており、それが緊張感の源となっていた。

「それにしても米国の学生はなぜよく勉強するのだろう。」そんなことを感じていたある日、同じクラスの米国人のJさんと雑談する機会があった。彼はもともとほかの大学で化学を専攻し、卒業後化学会社に勤めたという経験を持っていた。米国では、学部卒であると、正規の研究員ではなく、実験補助員として扱われるのが普通である。彼もその例外ではなく、その会社では分析技術者として働いていた。しかし、数年働いてみて、開発マネージャーとして働きたいと思うようになり、その会社をやめて大学院に入ったとのことであった。おそらく彼は、経営学修士号を得たのち、希望するポジションを得るべく働きかけをするのであろう。

実は、クラスではJさんのようにすでに働いた経験のある学生が大半であった。働きながら大学院にいくための資金を貯え、そしてキャリア・アップを図るために、大学院に学びに来ているのである。そのような学生にとっては、将来専門家として働くために、必要な能力や知識を得ようと身銭を払って授業を受けているのである。そんな背景を知ると、米国の学生がなぜ真剣に勉強するかが少しずつ理解できるようになった。今まで、私にはそのような感覚はなかったので、目からウロコが落ちる思いであった。

経営学から何を学んだのか?

技術者である私がこのプログラムを通して得たものは何であろうか。留学する前は、経営学がどのようなものかまったくわからなかった。さらに、「技術者がなぜ経営学を学ばないといけないのか?」という疑問が心の中にあった。むしろ、留学であれば技術系の大学で研究する機会を望んでいた。そんな私が、このプロブラムを受けてよかったと感じたことは、会社を一つの生き物(組織体)とみて、その経営状態や会社を発展させるためにどのような方策を取るのか考える、そういった視点を得たことにある。

留学したとき私は30歳であり、 会社に勤めて6年たっていた。それまで自分の研究テーマをどのように展開するかについては考えてきたが、会社にとってそのテーマがどのような位置づけにあり、どのような意味をもつかを考えてみたことはなかった。 研究も会社の活動の一つである以上、当然考える必要があるが、どうもその視点が欠落していたのである。そういったことを改めて自覚させられた。

さらに、米国において専門家がどのようにキャリア・アップを行うのかを身近にみることができた。専門家として、自分の望むポジションを得て、納得のいく仕事をしていくためには、それに必要な能力や知識を獲得し続けなければならないのである。しかし、一方で日本ではそんなことができるのだろうかとの疑問も湧いてきた。その当時は今ほど社会人大学院が充実しておらず、働きながら学校で学ぶのは難しい状況であったからである。

留学のために日本を出発してから1年数数ヶ月後、家族とともに日本に帰国することになった。大学という自由な環境から束縛の多い日本社会への復帰である。東京に向かう飛行機の中で、私自身、専門家として今後どのように生きて行くのか思いを馳せながら帰国の途についた。

大学院での会話についていくのは大変だった

出典:「現代化学」(東京化学同人)2005年9月号

百瀬隆さんのエンジニアキャリア全10回
その1 高専入学から大学編入まで
その2 大学院時代
その3 大学院卒業と就職
その4 就職と研究所出向
その5 米国留学への挑戦
その6 米国経営学大学院時代
その7 博士取得への挑戦
その8 転職
その9 管理系職種への転向
その10 まとめと振り返り