百瀬隆さん

百瀬隆さんは大手化学メーカーのダイセルで知的財産センター長を勤め上げた後、金沢工業大学大学院で客員教授をされていますが、キャリアプランに対して若い技術者に伝えたいことを、ご自分の経験を踏まえて2005年に雑誌「現代化学」(東京化学同人)に連載しました。非常に参考になるお話であり、ご本人ならびに出版社の許可をいただきましたので、ここに転載いたします。

 

冷たい現実

ある本に「現在の企業では40才過ぎた技術者はいらない。」と書かれていた。これについてどのように感じるであろうか。「そんなはずはない。何かのまちがいではないか?」ととらえるのであろうか。それとも「技術者として夢を持っているのに水を差すようなことは言わないでほしい。」と非難の言葉を投げかけるのであろうか。しかし、これは現実なのである。

私が勤める化学会社においても40歳過ぎた現役の技術者はごく稀である。大部分は技術分野に残っているとしても管理的な仕事をしており、技術分野以外の業務を行っている人もかなり多い。私自身も例外ではない。38歳の時に技術者として現役を引退し、現在は知的財産部門で仕事をしている。それは、若手の技術者と比べ、発想の点でも粘り強さでも太刀打ちできないという冷たい現実があるからである。

この連載では、このように技術者にとって厳しい時代に、私自身どのように生き抜いてきたのか“実験レポート”として紹介し、悩める技術者が今後の生き方を考える上でのきっかけとしてもらえればと願っている。

初めて描いた夢

私が高専の3年生であったころ、学生会の活動を通して、他学科にいた5年生のKさんと知り合いになった。その当時Kさんは、卒業後大学に編入学するために試験勉強をしており、「専門技術者として生きていくためには高専だけでは不十分で、少なくとも大学院まで行く必要がある。」との明確な信念を持ち、それを実現するために自分の頭で考えて必要な準備を進めていた。私自身もそのころ、このまま卒業して会社に勤めることに夢が感じられず、物足りなさを感じていたときであったので、Kさんに刺激され、大学へ編入学する道を選ぶことにした。できれば大学院にも進み、将来は高専に教官として戻り、後輩の指導にあたりたいとも考え始めた。これが私が最初に描いた夢らしい夢であった。

しかしその当時は、高専から大学への編入学は制度化されておらず、大学で学生の欠員が出た場合に編入学試験を実施するという状況で、私が在籍した高専から編入学したのは、開校以来わずかに3人だけだった。したがって、挑戦したとしても受け入れてくれる大学は少なく、かといって途中で就職に転じるとしても正規の採用試験は終わっているので、その後の進路については方向性を見失ってしまうというリスクはつきまとっていた。しかし、いったん決めた以上は後戻りできないので、最善をつくす以外に方法はなかった。

編入学試験に関しては大学受験のように予備校はなかったので、まずは編入学を経験した先輩から情報を収集することから始めた。そして試験のためにどのような勉強をすれば良いのか、教科書選びや勉強の仕方について自分なりの計画を立てた。高専の卒業に必要な授業の単位もとらないといけないので、試験の準備は、限られた中でいかに効率よく勉強するのか工夫する必要があった。そして、試験準備を通して、学校から与えられたカリキュラムに従って勉強するのではなしに、ある目的を達成するために独自のカリキュラムを手作りで編み出し、自主的に勉強していくことの重要性に気づいた。

だが新たな挑戦に対する意欲に反し、現実の試験はきびしいものであった。 募集が数名のところに、全国の高専から編入学希望者が殺到するので、自分では比較的試験がよくできたと思っていても、競争相手は同じ高専生であるので、結果は合格発表をみるまではわからないという状況だった。結局、なかなか受からず、ようやく5校目で東京の大学に合格することができた。その通知を得たのは高専の卒業式の数日前であり、進路が決まった状態で卒業式に臨むことができたのは幸いであった。

夢の展開

1975年の4月から大学の3学年に編入学し、いよいよ大学生としての生活が始まった。 東京の郊外にあるこじんまりとした大学ではあったが、キャンパスに並んだケヤキの木は大学らしい雰囲気を醸し出していた。初めて接する大学の授業も新鮮な感じを受けた。当時の高専では選択科目はなく、すべての授業の単位を取る必要があったので、自分の興味で授業が選択できること自体にある種の豊かさを感じた。キャンパスには、工学部の学生だけでなく他の学部の学生もおり、高専からみると世界が広がったという印象を強く受けた。

「君たちは、高専からの編入学の第一期生となるので、当大学での君たちの活躍が今後の編入学生の評価につながってきます。来年度から高専からの推薦入学も考えていますので、ぜひよい成果を残すよう頑張っていただきたい。」とオリエンテーションの場で学科主任からの挨拶があった。このように、編入学生に対してかなり期待をかけてもらっていることがわかったので、各授業においてよい成績をとるべく努力をした記憶がある。

4学年からは、研究室に所属し卒業研究を始めた。研究室には指導教官の他に助手が一名おり、そのほかに大学院生が4名いた。卒業研究を進める上で、実験のやり方などについて先輩である大学院生が指導してくれたことは貴重な経験となった。高専では指導教官と5学年の学生だけで大学院生がいなかったので、先輩から指導を受けることができなかった。このように、大学に来て本当によかったと思うとともに、恵まれた環境で卒業研究のテーマを展開することができたので、指導教官からは「編入学生は非常に優秀である。」という評価を得ることができた。

卒業研究を行う一方で、大学院への進学の準備も進めた。大学に編入学する際にかなり試験勉強をしていたので、それらをもう一度復習する程度ですまし、弱点となっていた語学の勉強に力を入れた。大学院の受験は出身大学と難関大学の2校を目指した。難関大学への受験は、高専在学中には想像すらできないことだったので、受験するとしてもとても受からないとあきらめていた。

予想に反して、実際には両方の大学院から合格通知を得ることができた。しかも難関大学に合格したのは、出身大学の学科から2名だけであり、快挙といえるものであった。 指導教官からは是非知名度の高い大学院にいき、研究者としての経験を積むべきであると強く進められ、それに従うことにした。これにより高専の時に描いた夢の実現に向けて大きく一歩踏み出すことができた。

夢がやぶれる時

冒頭で述べたように、現在私は、ある化学会社の知的財産部門のマネ−ジャーとして働いている。これは何を意味するのか。最初描いた夢は、高専で後輩を指導している姿であった。そして、大学院への進学はその姿を実際に目に見える形にする上で順調な滑り出しといえるものであった。こうして進んだ大学院で研究成果を上げ、博士号を取れば、母校の高専の教官になることもそれ程難しい選択とも思えなかった。いったいどこで夢が破れてしまったのだろうか。

今までの私のキャリアを振り返ってみると、高専から大学への編入学はかなり際どい選択であったけれども、なんとかそれを乗り切り、無事大学に入学できたことは大きな成功体験であった。20才という若さも手伝ってか、明確な目標をもって努力すればたいていのことは実現できるのではないかという自信さえ芽生え始めていた。しかし、あるつまずきがきっかけとなり、自分が描いていた像とは異なる方向に滑り落ちてしまった。その時に落ちる痛みも味わった。そして、何とか初心を貫くために這い上がりの努力を続け、ようやく回復したと思ったら、また崖から突き落とされるというか、自ら落ちてしまうというか、ルートから外れ、また這い上がりの努力を続けている自分の姿がありありと浮かび上がってきた。

その過程で、キャリアというものはデザインしてもなかなか思い通りにならないということを骨身に感じた。しかし、決してそれが結論であると言いたいのではない。這い上がりのときには、あるべき姿をデザインし、それに向かって努力することも必要であった。そしてデザインとともに、救いの手を差し伸べてくれるメンター(助言者)の存在が、這い上がりを成功に導くために欠くことのできない条件であることも知った。

どのようにキャリアを表現するのか?

次回以降では、大学院に進学した後の私のキャリアについて述べていきたいと考えている。ただ、キャリアというものが、それぞれの局面で自分で判断し、選択を行っていく中で形成されるというきわめて属人的な側面を持つので、私自身のキャリアを表すときは、私がどのような状況に置かれ、その時にどのように感じ、そして這い上がるためにどのように行動し、結果としてどのようになったのかがわかるように具体的に記述するつもりである。

さらにキャリア形成において、人に話したくない嫌な想い出がつぎの行動を生む原因となっている場合が多かったので、これらをできるだけ正直に書くように努力したい。つまり、窮地に追い込まれ、這い上がろうとしている私自身を実験対象とみなし、その実験の実施者である私が、外からその実験対象がどのような行動を起こすのかを観察し、それに考察を加え、最終的にそれらを記述して行くという方法で私自身のキャリアを表現しようと試みる。これが表題において“実験レポート”というメタファーを使った理由である。

しかし工学実験と大きく異なる点は、実験対象が私自身であるということから、実験に失敗したときには私自身が痛みを感じることと、私の失敗について語ること自体に痛みを感じるということである。それではなぜそこまでしてこの実験レポートを書く必要があるのだろうか。それは、自分自身を知るということへの新たな旅への憧れであるのかもしれない。

 

技術者ライフには色々なことが起こる

出典:「現代化学」(東京化学同人)2005年4月号

百瀬隆さんのエンジニアキャリア全10回
その1 高専入学から大学編入まで
その2 大学院時代
その3 大学院卒業と就職
その4 就職と研究所出向
その5 米国留学への挑戦
その6 米国経営学大学院時代
その7 博士取得への挑戦
その8 転職
その9 管理系職種への転向
その10 まとめと振り返り